三男の話

お念珠の話

 おはようございます。専願寺の三男の稲川希生(きお)です。せっかくホームページを開設したということで、定期的にいろんな話を投稿していきたいと思います。拙い文、わかりにくいところもあるかと思いますが、宜しくお願い致します。

 今回はお念珠について書かせていただきたいと思います。お念珠というのは、木や木の実、貴石、珊瑚、象牙、骨などなど、様々なものに穴をあけ、紐を通して輪っかにしたものを言います。そもそもなぜお念珠を用いるのかというお話ですが、時はお釈迦様の時代までさかのぼります。その時代のインドに、人生に悩む王がいらっしゃいました。その王はお釈迦様に煩悩を消す方法を尋ねました。するとお釈迦様は、108個のムクロジの実をつないで輪を作り、仏法僧を唱えつつ、一つずつ繰ることで、煩悩が消えゆく。」と説かれなさった。それが仏教でお念珠を用いるようになった由縁だと、一説には言われております。108個というのは、言わずもがな煩悩の数のことであります。

 お念珠の珠(たま)にはそれぞれ名前があります。一番大きな珠を親珠、一番小さい二つの珠を二天珠、それ以外の珠を主珠と言います。実はお念珠というのは、阿弥陀さまと私、そして周りの方々との関係を表しているのです。どういうことかと申しますと、親珠は阿弥陀さまのことを表しています。二天珠は父と母を表します。そしてそれ以外の主珠は、私とご縁のある様々な方々を表しているのです。そして阿弥陀さまが結ぶご縁を親珠から伸び、貫いている紐が表しているのです。それでは私というのがどこにおるのかと申しますと、お念仏申すときに合わせるこの手が私であります。その形は阿弥陀さま、父母、縁のある方々の中に私がいるんです。

 様々な方々に支えられ、助けられ、生かされているのがこの私なのです。しかし、この私も様々な方々を支え、助け、生かしているんです。そうやって、お互いが関わり合いながら、今を生きているんです。それはつまり、私たちは決して一人では生きていないということでもあるのです。そのことを阿弥陀さまは気づかせてくださるのです。

 阿弥陀さまは、決して私を一人にすることはないのです。そのお心に触れたとき、阿弥陀さまが私のところに来てくださっている。そして阿弥陀さまのように私を思い、私を心配してくださってる方がいるということに、気づくことが出来るのではないでしょうか。

 お念珠に手を通し、手を合わせ、お念仏申させていただくたびに、私のことを願ってやまない阿弥陀さま、私が忘れていても思ってくださる方々がいるということを思い出させていただく、そんなご縁を私たちはいただいていたんですね。

合掌

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